名 前 菅野 勝雄(かんのかつお)
分 野 閉山・生活 常磐炭礦OB
昭和46年の常磐炭礦(株)磐城礦業所閉山闘争時に労働組合書記長として4千人の組合員と共に会社との交渉に当たった。その後、この大闘争と組合員全員の生活を記録した名著「地底との訣別」編集責任者として活躍するなど自他共に許す炭鉱歴史や生活の証言者である。
名 前 中田 信夫(なかだのぶお)
分 野 技術 常磐炭礦OB
常磐炭礦(株)磐城礦業所の中核、採炭部門の責任者として温泉地帯を掘り進むという世界に例を見ない劣悪な坑内条件を克服し石炭を生産した。閉山後、常磐方式の採炭技術を動画で再現したDVDを作成、又「語り部」として豊富で貴重な体験の伝承に努めている。
名 前 円谷 裕一(つむらややすいち)
分 野 閉山・労務 常磐炭礦OB
常磐炭礦(株)磐城礦業所の第一線で常に「一山一家」を掲げた労務対策に当たり組合からの信頼も厚かった。閉山後の社員の再就職や企業誘致、会社の多角経営(炭鉱から観光へ)等に注力し、地域の再活性化に果たした役割は大きい。
名 前 渡辺 為雄(わたなべためお)
分 野 技術 みろく沢炭鉱資料館館長
自ら坑内労働者としての経験と技術を生かした炭鉱資料館を創設し、収集した豊富な写真や道具類を展示している。2002年1月には「みろく沢炭鉱資料館写真集」を発刊し、資料館もマスコミに度々取り上げられた。来訪者には自作のトロッコ運転を披露し、そのユーモア溢れる解説は他の追随を許さない。
名 前 秋元 高義(あきもとたかよし)
分 野 技術 常磐炭礦OB
東京大学鉱山学部を卒業後、常磐炭礦(株)に入社し採炭現場の責任者として高温多湿の劣悪な坑内で近代的技術を駆使した採炭に従事した。当時の技術交流で九州や北海道の採炭技術にも詳しい。その後会社の事業転換により観光部門の責任者として活動し「炭鉱から観光へ」の証言者でもある。
名 前 結城 良一(ゆうきりょういち)
分 野 炭鉱・生活・文化 常磐炭礦OB
坑内最前線の採炭現場で自らも石炭を掘り又、採炭チームの長としても活動していた。重大事故にも遭遇し九死に一生を得た経験もある。若いうちから俳句などの文学に造詣が深く経験者ならではのヤマの生活を詠んだ句集も出している。
名 前 熊澤 幹夫(くまざわみきお)
分 野 ガイド いわきヘリテージ・ツーリズム協議会事務局長
短期間ではあるが自らの坑内作業の経験を生かしたガイドをしている。常磐グループに長く勤務し炭鉱関係者との知り合いも多く、持ち前の研究熱心さもあり、ガイドグループの中心として活躍している。
名 前 伊勢 久芳(いせひさよし)
分 野 常磐ハワイアンセンター 営業
講師は常磐ハワイアンセンター初代営業部伊勢久芳氏。炭礦閉山後の生き残りをかけて世界中を視察、そして炭礦から観光へ。常磐ハワイアンセンターがオープンするまでの中村豊社長の熱い想い。